カラモリ会

カラモリ会初代会長 自己紹介

ズクが地球を救う

  はじめまして。依田明善(めいぜん)と申します。カラモリ会の初代会長です。

 私は昭和37年生まれの48才です。 父は材木屋を営んでいましたので、子供の頃は日曜日のたびに「山に行って下刈りをして来い」と言われました。小学生や中学生の頃は遊び盛りなので、カラマツ林の作業は本当に嫌でした。

 「下刈り」というのは、木の成長を助けるため、下に生えている雑木やツルなどを刈り払う作業を言います。この作業は子供の私にはきつかった。ですから、お弁当だけが唯一の楽しみでした。でも時々、アリの行列が侵入していてびっくりしたことがありました。それに昔はマムシも多かった。ある日、子供が腹を食い破る直前の母親マムシと出会ったことがありました。ものすごく興奮ました。そのほかにも、グミやメドなどの木の実を食べて喉を潤す、川に入って魚取りをする、友達と秘密基地を作って遊ぶなど、楽しみが盛りだくさんでした。そんな日々が、今となっては懐かしい思い出です。

 カラマツの間伐材は今まで厄介者でした。現在も「切捨て間伐」が主流で、多くが山に放置してあります。しかし、これでは森林整備は不充分です。かといって、カラマツの薪はヤ二が多いので火力が強くなってしまい、ストーブの寿命を縮めてしまいます。煙突もススだらけになってしまうので長い間、敬遠されてきました。しかし「信州カラマツストーブ」の登場で状況は変わりつつあります。

 ところで、私が少年時代の頃はまだまだ不便なことは沢山ありました。
ボイラーなんてものは普及していなかったので水道水だけの生活でした。冬の食器洗いはアカギレが出来て大変でした。携帯電話なんて夢のお話し。電話の横についているハンドルをグルグル回し、「市外をお願いします!」ってなことを交換手に言わなければ通話ができませんでした。

 でも、70代以上の皆さんはもっと不便な時代を生きてきたんですよね。水道すら無かったんですから。当時は子供が川に水を汲みに行くことも珍しくなかったそうです。不便で不衛生な生活。戦争と貧しさの中を生き抜いた世代。
 
 かたや、平和と飽食と科学技術の恩恵の中で育った世代。かつてこれほど世代背景が違う時代があったでしょうか?これでは親子や孫との意見が合わないのも当然ですよね。嫁と姑が対立するのも当たり前なんです。だけども、何かのきっかけで分かり合えることもあります。お互いの長所がうまくかみあえば、とても居心地の良い家族になり得ます。

 昔は人々の心のふれあいが沢山ありました。今は毎日のように人が殺されております。私はその原因の一つとして、「過ぎたる便利さ」を挙げたいと思います。「便利さ」と「心の豊かさ」は反比例するような気がしてなりません。不便なことがあると、人々はいつしか協力するようになります。当然、コミュニケーションが深まり、お互いを大切にし、理解しようとします。そしてそこから「新しい人情の種」が生まれてくると、私は思います。

 山が荒れると畑が荒れる。畑が荒れると田舎の人々の心が荒れ、やがて都会に伝播して国が滅びます。これからの時代は先人の知恵と努力に思いを馳せ、温かい心を取り戻す時代でもあると思います。

 薪を自分で準備するには「
ズク」がいります。「ズク」というのは信州の方言ですが、「ズクがある人」というのはとても良い褒め言葉なんです。根気があって、労を惜しまないでこまめに動く人のことを指します。

 確かに薪作りも
ズクが要ります。山に行って間伐材を「たま切り」にする、トラックで運び、積み上げ、乾燥させる。鎌、チェンソー、斧などの使い方も覚えなければなりません。しかも薪割りはかなりの重労働。汗びっしょりになります。でも、人々はそういった作業をすることにより、多くの人々とふれあいます。親子のふれあい、家族や親戚とのふれあい、道具屋さんとのふれあい、山の所有者どうしのふれあいなど、多くのかかわりあいが生まれてきます。薪ストーブひとつとっても、計り知れない効果が得られることは間違いありません。

 我が家でも薪ストーブは大活躍です。私も暇を見つけては薪割りをしておりますが、適度な力仕事というのは雑念が消えて気分爽快になります。運動不足も解消、メタボ対策にも効果があります。

 斧(おの)は薪を割るため、刃物は工作や料理に使うため、バットはボールを打つための道具です。決して人様を傷つけるものではありません。力仕事をして汗をかくと、そんな当たり前のことを思い出させてくれます。

 時間に追われ、便利すぎる生活に嫌気がさした時には、
仕事が休みの時だけでも「不便な生活」を楽しもうではありませんか。「ズクを出せば  みんな仲良し  無駄も無し!」 もしかしたら、「ズク」が地球を救うのかもしれもせんね。


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