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めいぜん語録

「いじめ」と「嫉妬心」
「いじめ」の問題が深刻です。国内では今や自殺者は約3万人を数える事態となりました。その中で、私は「いじめ」が原因で心を病み、自殺する人々がかなりいらっしゃると思っております。

子供から大人まで、多くの人々が「いじめ」に悩み、心を病み、最後は廃人のようになってこの世を去っていく。こんな理不尽なことが許されて良いわけがありません。

心ある人は常に進化しようと努力します。ところが、「出る杭は打たれる」の言葉通り、世の中にはあの手この手でその人をけなし、悪い噂を流し、潰そうとする人が後を絶ちません。そのひとつの原因に「嫉妬心」があります。

「嫉妬心」を辞書で調べると、「それまで抱いていた優越感、愛情、独占感が突如、他にしのがれるようになった時に感じる妬(ねた)みの気持ち」とあります。更に「妬み」とは、「他人の幸運や長所をうらやんで、幸福な生活の邪魔をしたくなる心」とあります。

ですから、もしあなたが「嫉妬心」によっていじめを受けていたら、逆にそれを誇りに思ってください。自分を責める必要はありません。ましてや、自殺をするなど論外です。

それに、「嫉妬心」が強過ぎる人は、相手の一面しか見ることができず、人の失敗ばかり望んでいます。これでは幸せになれません。信用も得られません。あなたのそばにもそういう人は必ずいるはずです。

逆に、いじめられっ子が出世することも珍しくありません。人の心の痛みがわかるのでまわりから愛される場合が多いからです。また、「見返してやろう!」というハングリー精神も育つので、見えないところで一生懸命に努力するからです。

つまり、長いスパンで考えれば、どっちが加害者(強者)で、どっちが被害者(弱者)なのかわからないところが、この問題の奥深いところなのです。

では、自分の嫉妬心に悩んでいる人はどうすれば良いのか? 私は、ある程度ならそれも悩む必要はないと思っております。なぜならば嫉妬心は本能であり、誰もが抱く感情だからです。

馬鹿にされれば人は怒る。美しい異性が現れれば恋心も芽生える。それと同じです。自分よりも目立つ奴は、自分と同等かそれ以下の世界にいて欲しいと望む。そして、願わくば自分は相手の上を歩きたい。そう思うことによって、多くの人々は自分が存在する意味を確認し、安心したがるのです。

したがって、人に対して嫉妬心が芽生えたとしてもなんら不思議はありません。人を好きになるな!と言われても、無理です。それと同じだと思います。むしろ、ある程度の嫉妬心がなければ、人は努力をしません。

しかし、「強すぎる嫉妬心」というのはその人の成長を妨げてしまいます。嫉妬心を心の中で異常に増幅させてしまえば、犯罪さえ起しかねません。最悪の場合は傷害や殺人事件などといった凶悪犯罪にも結びついてしまいます。

少年たちがよってたかって同級生に暴行を加え、死なせてしまった事件がありました。この場合の被害者は、普段から目立たない普通の少年だったそうです。しかし加害者の少年たちにしてみれば、皆が平等に存在していることに対しての苛立ちもあったのでしょう。自分は少しでも優位に立ちたい、誰か生贄(いけにえ)はいないか? といった感情が沸き起こり、たまたま一人の少年が犠牲になりました。異形の嫉妬心とでも云いましょうか。思春期に悩み狂う青少年たちの心の闇を見る思いです。出ない杭も打たれる場合があるということを、我々は肝に銘じておかなければなりません。

怒る、好きになる、嫉妬心を抱く、といったことは誰でも抱く本能的感情ですが、これがこじれると、人生ろくな事にはなりません。「たかだか本能の成せる技である」と割り切り、本能とうまくつきあうのが人生成功の秘訣の一つだと私は思います。

ただし、自分の「強すぎる嫉妬心」に悩んでいる方もいるはずです。そんな方は「心の気づき」を標榜しているセミナーのようなものに参加するのも良いかもしれません。あるいはまた、大自然と繋がる時間を増やすのも有効だと思います。もしかしたら、哲学者ソクラテスの妻のような悪妻の下で修行し、世の中を達観するのも一つの手かもしれない。(ソクラテスの妻が悪妻か否かは諸説ありますが………)

いずれにしても、「いじめ」も「嫉妬心」も人間がこの世に存在する限り、無くなることは絶対にありません。しかし、いじめに負けないように心を鍛えたり、嫉妬心を抑えるように自分をコントロールすることは誰もができるはず。したがって、ただ単に「いじめをなくそう」と唱えているだけでは、大きな改善は望めなと思います。大事なのは、強くて美しい心をどうやって育てるか。そこの対策が重要だと思います。

これは一つの例ですが、ある幼稚園では園児を自然の中で自由に遊ばせております。更には、山や畑や川で共同作業もさせております。子供たちは伸び伸び育っており、いじめも減りました。

また、ある研究結果がマスコミで報道されました。子供の頃大自然と大いに触れ合った子供たちは、将来社会に出て働くようになった時に、向上心も高く、根気強く、更にはストレスにも強くなるそうです。逆に、あまり大自然と縁の無かった子供たちは、働く意欲も乏しく、心が折れやすい大人になる可能性が大きいそうです。

ようするに、「野生児」は今も昔も強いということなのでしょう。

特に私が最近、「馬鹿みたいな人間関係」だと思っているのが、かなりの若者(特に少女)がはまっている「プロフ」です。つまり、携帯電話を媒体にした自己紹介システムなのですが、今の若者はお互いの顔写真や住所、氏名、電話番号、学校名、趣味、メッセージなどの情報を送信しあって合理的に世の中を生きているのです。

ほとんど肉声の通わない、画面に表示される情報だけで人の好き嫌いを判断する人間関係。相手と向かい合って「生の会話」をする作業から逃げ、面倒臭がる姿に、私は背筋が寒くなります。

人に叱られることが苦手。会話も苦手。仲直りすることも苦手。自意識過剰で自己主張が多いといった少年少女が激増しているようです。生身の相手に真正面から向き合えない。ですから、ますます「プロフ」にはまっていくというのが実態のようですが、今の若者は本当に気の毒です。

友達が欲しい、人と繋がっていたい、という気持ちは痛いほどわかります。しかし、どこの誰が作ったかわからないような集金システムに日々振り回される必要なんて無いと思います。そんなものは時間の無駄だし、心が疲れるだけです。私なら本でも読んでいた方がよっぽど楽しい。誰にも邪魔されない時間を持つことは大切だと思います。

心を許しあえる友達なんて2〜3人いればたくさんです。自分が死んだ時に、関係者のすべてが涙を流してくれることを期待してはいけません。葬儀に参列するしないは関係なく、あなたを思って、誰かがどこかで涙を一粒でも流してくれれば、人は立派に成仏できます。

ですから特に若者に対しては、テレビ、携帯電話、パソコンから目をそらし、がむしゃらに色々な世代の人々と会話することを勧めます。特に、お年寄りの話しは面白い。生きることが楽しくなります。

生命力は若者の特権ではありません。70年も80年も90年も生きてきた人々。その中にこそ、真の生命力が宿っていることに、あなたは気づくはずです。

それに、人生に疲れてしまった人は一度、野山や畑、海や川で、気の合う連中と大いにやりたいことをやってみたらいかがでしょう? きっとあなたの中で眠っている「野生の本能」が目を覚ますに違いありません。

インターネットで繋がっていたい? 携帯電話で友達を増やしたい? メールの返信が忙しくて好きなことができない? そんな馬鹿みたいなことを一刀両断できる人。これからはそういう強い人間が求められるのです。
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